私は豊洲市場の水産荷受会社(セリ販売する会社)で働いている。
セリ販売すると言っても、実態は商品卸売業である。IT用語でしばしば出てくるBtoB(Business to Business)というヤツだ。
出荷者(漁協や生産者など)→荷受会社→市場内仲卸業者→飲食店や小売店など、という4段階の2番目に相当する業態である。
鮮魚などの生物は、鮮度が重要なので入荷したら基本的にその日のうちに販売してしまうが、冷凍品(輸入品が主だ)などは業務用大型冷蔵庫に在庫することもある。
在庫するということは、商品が荷受会社の段階で止まってしまうわけで、それだけ物の動きが悪くなる。
現金についても売上がたたないので支払いが先行してしまう。
在庫を大量に抱えるのは企業業績に良い影響は与えないだろう。
在庫ゼロが理想なのだろうが現実には取引先の都合もあり(取引先も在庫ゼロを標榜してたら自分だけ在庫ゼロを実現するのは困難だ)、すべての会社がうまくやれるわけではない。
そこで在庫管理というものが重要になってくるのである。
経済的発注量
商品を仕入れして売り上げるまでに要する費用(在庫品関係費用)は、商品の発注費と保管費から構成される。
一定の期間に注文のある商品をその都度仕入れすれば、商品の保管費は安くすむが、頻繁に発注を行うため発注費は高くなる。
反対に。一定期間内に売り上げる商品を一括で仕入れすれば、発注費は1回分で済むが、保管費は相当な金額になってしまうだろう。
そこで、商品を仕入して売り上げるまでに要する費用(在庫品関係費用)を出来る限り低く抑えるためには、商品を何回に分けて発注すればよいのか(1回当たり何単位で発注すればよいのか)判断する必要が生じる。
このような意思決定を経済的発注量の計算という。
経済的発注量(EOQ:economic order quantity)は、最も経済的な1回当たりの商品発注量のことである。
在庫品関係費用
在庫品関係費用とは、商品を購入して販売するまでに要する費用である。
発注費と保管費より構成される。
在庫品関係費用=発注費+保管費 の関係である。
発注費・・・商品の発注1回当たりに要する費用
郵便料金、事務用消耗品、外部業者に支払う積み下ろし作業料金などが相当する。
保管費・・・商品の保管1個あたりにかかる費用
火災保険料、在庫品に対する資本コストなどが相当する。
ここで聞き慣れない「資本コスト」なる単語が登場する。
資本コストは目に見えないコストである。
商品に投じている使用資金(購入原価)は、その使途が拘束される。(在庫として保有しているため)。
そのために、この資金を他の用途に振り向けたら得られたはずの利益は断念せざるを得ない。
非常に特殊な原価概念ではあるが、資本コストは「機会原価」といって、特定の代替案を選択することにより、得る機会を失った最大の利益額(逸失利益)で測定される原価である。
資本コストは、その資金を使用して得るべき最低所要利益を示し、その利益率を資本コスト率という。
資本コストは、使用資金×資本コスト率 で求めるわけだ。
経済的発注量の計算方法
在庫品関係費用を最小にする1回あたりの発注量が経済的発注量であり、計算方法は以下のとおりである。
在庫品関係費用=発注費+保管費
1回当たりの発注量をL個とすると、
発注費=@発注費/回✖️発注回数
=@発注費/回✖️(商品必要量➗L)
保管費=@保管費/個✖️平均在庫量
=@保管費/個✖️(L÷2)
ここで平均在庫量なるものが出てくる。
商品は仕入れ後すぐに販売してしまうものから、次の発注の直前までに販売されるものまであり、倉庫に残っている在庫量は平均すると1回当たりの発注量の約半分であるということになる。
そして経済的発注量は、
「発注費=保管費」 といことである。
在庫管理
商品の仕入れ活動を行う際には、在庫品関連費用を最小にするための経済的発注量の計算は当然重要だが、その他に安全在庫やリードタイムについても考慮しなければならない。
・安全在庫〜在庫切れによる機会損失を回避するために恒常的に保有する在庫
・リードタイム〜商品の発注から納品までに要する期間
安全在庫は1回あたりの発注量にかかわらず一定であるため、経済的発注量の計算上は無関連原価(埋没原価)として取り扱う。
無関連原価とは経済的発注量の意思決定に影響しない原価を意味する。
リードタイムについては、納品までの期間であるが、商品の仕入れはこれを考慮に入れないといけない。
なぜなら納期を考えずに発注すれば、安全在庫に食い込みが生じたり、場合によっては在庫切れによる機会損失(在庫ぎれで販売できずに失う利益)を被ることになるからである。
終わりに
ざっと在庫管理の「理想の方法」について概観してみたが、現実の商売は人間のやることであり、しがらみや付き合い、義理、人情もあり、理想通りとはいかないだろう。
そういった中でも理想を追い求めていくことにより、社会は進歩していくのではないかね。